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【ロンT】「7:10」の電車の中で見つけた自由 -1st page series-

¥5,500 税込

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オフホワイトのボディに写真がプリントされた長袖のTシャツ。

脇下に縫い目がない丸胴で、どんな体型にも合わせやすい形です。丈夫で軽い着心地となっています。
生地はコットン100%で肌触りも良く、抗菌防臭、制菌加工で汗や室内干しの匂いを大幅に軽減されており、透けにくい素材となっています。

素材 : コットン 100%
カラー : オフホワイト
サイズ : S / M
[サイズ S] 着丈 60.5cm / 身幅 52cm / 肩幅 49cm/ 袖丈 57cm
[サイズ M] 着丈 63cm / 身幅 53cm / 肩幅 50cm/ 袖丈 58cm


発送目安日: お支払い確認後一週間以内



the story for this item
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「7:10」の電車の中で見つけた自由

 朝、いつもと逆のホームに僕は立っていた。
 東の空から昇った太陽の光で、線路に影を伸びている。馬鹿なことをしているのは自分でもわかっていた。それなのに、このところずっと機能していなかった心が、久しぶりに熱を帯びている気がする。
 いつも立っているはずの向かいのホームには、早朝だというのに電車を待つ人で溢れかえっていた。みんなまだ、シーツの上に意識を置いてきたままのような顔をしている。いつもなら、僕もその一人だ。
 まだ今なら戻れる。でも、今日だけ。今日一日だけ……。
 アナウンスが鳴り、電車が目の前に到着する。扉が開き、僕は足に力を込めて踏み出した。乗り込んだ車内は信じられないくらいに空いていた。いつもは座れない座席に腰を落ち着け、僕はスマホを操作する。
「こっち、電車に乗れた。そっちはどう?」
 僕は藤木にLINEを送る。返事はすぐにきた。
「こっちも間に合いそう。一番前の車両だよね?」
「うん。一番前にいる」
 そんなやりとりを交わしてから、僕は電車の進行方向を見た。
 動き出した電車の窓の向こうに、富士山が見えていた。思わず僕は立ち上がる。
 小田急線経堂駅から富士山が見えるということ。同じ小田急沿線に住んでいる藤木に、ずっと前に言われたことがある。その時はあまり真面目に聞いていなかったが、どうやら本当だったらしい。
 進行方向に富士山が見える。つまり電車は下り。
 ああ、僕は本当に馬鹿なことをしている。

 
 僕は昨日、上司にこっぴどく叱られた。雑誌の編集をするようになって、まだ二年。だけど、もう二年が経った。
 まだ一人前になれず、最近ずっとこんな調子だった。何かすると叱られ、叱られるかもしれないと思って仕事をすると、また叱られる。
 昨日も指摘された修正作業で、夜遅くまで残業していた。
「なんかもう、全部放り出して温泉とか行きたい」
 人の少なくなった会社で、僕は隣にいた藤木にそうこぼした。同期である彼女とは、気を遣わずに何でも話せる関係だった。彼女は何を言ってもあまり深刻に捉えないから、逆にどんなことも話しやすい。
「温泉ねぇ……」
 藤木は髪をかきあげて、少し考えるような顔をして言った。髪を耳にかけると、すっきりした輪郭が露わになる。化粧っけはないが、それを補って余るくらい、彼女は表情が豊かだ。
 僕は「温泉」と言ったが、別に深い意味があったわけではなく、ただ仕事に追われているこの状況から抜け出したいだけだった。次の日には言ったことさえ忘れているようなことだったかもしれない。
「私も行きたいな。温泉」
 藤木が言ったそんな言葉も、ただこちらの愚痴に合わせて言ってくれた言葉だと思った。
 なのに、藤木の言葉はそれで終わらなかった。
「ね、行ってみる? 明日一日だけ」
 彼女は僕の方をまっすぐ見て言った。
「行くって、どこに?」
「温泉って言ったじゃん。温泉といえば、箱根」
「どうやって」
「小田急線って、箱根まで繋がってるの。知ってた?」
「じゃなくて、仕事は?」
「熱出したことにすればいいんじゃない」
「怒られるよ」
「熱出て休んだら怒られるの? どんな会社だ。あのさ、自由って言葉知ってる?」
「知ってるけど」
「じゃあいいじゃん、一日くらい。君が一日いないくらいで、何もかも終わるような世界じゃない」
 一体何を言っているんだ。つまり、ズル休みをしようということか? とてもじゃないが現実的ではない。
 と、思っていたはずなのに、僕は今、会社とは逆方向の電車に乗っている。自分でも、こんなことをする勇気があったことに驚いていた。
 窓際に立っている僕は、電車の上にある路線図に視線を移した。
 経堂駅の近くで暮らすようになって、僕はまだ一年も経っていない。だからあまり意識したことがなかったが、確かに小田急線は箱根まで繋がっている。新宿に向かう電車と逆方向に乗れば、そのまま箱根に行ける路線なのだ。
 僕はシートに座る。電車はいくつかの駅に停車し、新百合ヶ丘駅に着いた。
 扉が開き、そこで藤木が姿を見せた。
「おー、ちゃんといた。電車で待ち合わせって、なんか嬉しいね。おはよ」
 彼女は僕を見て嬉しそうに言った。Tシャツ一枚にデニムという、とても身軽な格好だった。
「おはよう。裏切られて一人にされたらどうしようかと思った」
「そんなことしないよ。ちゃんと熱出したの?」
「早朝に連絡しておいた。申し訳なさそうにね」
「有給なんて当たり前の権利なんだから、申し訳なさそうにする必要なんてないのに」
「するよ、社会人として。藤木はなんて言って休んだの?」
「一緒だよ。熱」
「え、それ怪しくない?」
「大丈夫でしょ」
 藤木は楽観的なところがある。何かにとらわれずに、自分を持っている。
 社会人になって、会社という組織に入って、それでもこんな感じでいられるのが不思議だった。それなのに、会社で彼女の仕事ぶりを悪く言う人はいない。できる人というのは、こういうやつのことなのかもしれない。
「まだ、自分で何してるんだろって思ってるよ」
「でも、ワクワクしない?」
「……まぁ、してる」
 やってはいけないことをしているというこの感じ。なぜか高揚感を覚えている自分がいる。
「でもなんで藤木は、こんなことに誘ってくれたの?」
 同期の愚痴に付き合うためだけにしては、自分も休むなんてリスクが高すぎる。
「ただ教えてあげたいと思ったから。人って、こんなことができるんだってこと」
「なんだそれ。え、もしかして藤木はこういうの初めてじゃないの?」
 僕の言葉に、ふふ、と彼女は意味ありげに笑った。
「ねぇ、この電車に、私たちと同じ目的の人がどのくらい乗ってると思う?」
「同じ目的?」
「そう。繰り返される毎日に疲れ果てて、そこから脱出しようとしている人が、この電車にどのくらい乗っているのかってこと」
 僕は車両を見渡す。僕ら二人の他に、何人か乗客はいる。
「そんな人がいるわけ……」
 と、否定しようとしたが、そう思って見ると、みんながそういう風にも見えてくる。一人で座っている若い男。スーツを着た壮年の男性。同い年くらいの女性。
 今いる場所から、勇気を出して逆方向に踏み出した人たち。
 人は暮らしていくために、知らないうちに何かに縛られてしまう。理不尽な言葉を投げかけられても、そこから抜け出すことができない。そんな場所しか、知らないから。
「みんな、自由を求めているんだよ。この電車は、そういう人たちを連れていくために走っている」
 藤木が急に真面目な目でそんなことを言うから、僕はこの電車が何か特別なもののように感じ始めていた。まるで異世界へと繋がっているような……。
 僕は窓の外の、雲がたなびく空を見る。
「これはね、君が自由を勝ち取るための行動だよ」
「……ずる休みをして温泉に行くだけなのに、大袈裟だよ」
 僕は笑ってそう言ったが、自分の中に、これまでにない気持ちが湧き上がっているのを感じていた。 
 朝の光を浴びた街が、窓の向こうで流れていく。
 自由。
 僕は立ち上がって、窓に手をかけた。
 形のないそれが、すぐそこにある気がした。

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