
「物語を身にまとう」をコンセプトに掲げ、写真と物語でできた服を作っています。
-2nd page series-は、スイーツをテーマに物語のある服を作りました。
【ロンT】人生はプリン -2nd page series-
¥5,500
プリンの写真がプリントされた長袖のTシャツ。 ボディカラーはグリーンがかった青色のミストブルーです。 ボディの生地は通常の天竺よりも編み目を詰めた密度の高い天竺生地が使われており、厚手で耐久性があり肌触りが良いです。 袖口にはしっかりとしたショートリブが付いており、一枚でもおしゃれに着ることができます。 ネック周りはダブルステッチ仕様、肩はバインダーテープ仕様となっており、首周りのヨレや型崩れを防ぐタフな設計となっています。 素材 : コットン 100% カラー : ミストブルー サイズ : S / M / L 男性モデル着用サイズ L H179cm 女性モデル着用サイズ M H157cm [サイズ S] 着丈 65cm / 身幅 49cm / 肩幅 42cm/ 袖丈 60cm [サイズ M] 着丈 69cm / 身幅 52cm / 肩幅 45cm/ 袖丈 62cm [サイズ L] 着丈 73cm / 身幅 55cm / 肩幅 48cm/ 袖丈 63cm 発送目安日: お支払い確認後一週間以内 the story for this item ------------- 「人生はプリン」 写真のプリンのレシピ 150ccのカップ4つ分 牛乳 400cc 卵 2個 グラニュー糖 70g カラメルソース↓ グラニュー糖 50g 水 大さじ1 お湯 大さじ1 「プリン、食べたいなー」 「美優、嫌なことあったんだね」 シェアハウスのリビングで、私が言った言葉に夏帆がそう返した。 嫌なことがあった時、私はいつもプリンを食べたくなる。夏帆はそれを知ってるから、私に何かあったのだとすぐにわかるみたいだ。 嫌なことと言っても、別に大したことではない。 最近職場の同期が別の部署に異動してしまい、一人で昼ごはんを食べることが増えた。単純に寂しいのもあるし、前まで当たり前に過ごしていた同期とのお喋りの時間が、自分にとって大事な気分転換の時間だったのだと気づいた。仕事の内容は変わらないはずなのに、ストレスが増えた気がする。 だから今、猛烈にプリンを食べたいと思う。 甘いものにはストレスを和らげる効果がある。中でもプリンは、私にとって特にその効果をもたらすのだ。 私は普段からプリンに目がなかった。お店のメニューにプリンがあれば必ず注文するし、美味しいプリンがあると噂を聞けば、わざわざ電車に乗って買いに行くこともある。 「さすが、リンラーだね」 かき氷をたくさん食べる人のことを、ゴーラーというらしい。 だから私はリンラーだ。私が言い出したこれ、夏帆は優しいから付き合ってくれてるけど、語呂が悪いから流行ることはない。 「ねぇ、プリンどっかに食べに行こーよ」 「ごめん、今日は出かける用事があるから無理」 優しいけど、優しすぎないこの感じが夏帆のいいところだ。ちゃんと自分を優先できる。 夏帆と私は学生の頃からシェアハウスをしている。休みの日は一緒に出かけることもあるが、基本的にそれぞれ自分のやりたいことを優先している。 「そういえば冷蔵庫に、スーパーで買ったプリンあるけど」 「んー、今はもっといいプリンが食べたい気分なんだよね」 「贅沢だねー。じゃあさ、今日暇なら自分で作ってみるのはどう?」 「……なるほど」 そんな発想はなかった。私はリンラーと言いながらも、既にあるものを食べることしかしてこなかったのだ。 スマホでプリンのレシピを調べたところ、意外にも材料は家にあるものだけで作れそうだった。 「作ってみる。できたら食べてくれる?」 「もちろん。夜楽しみにしてるね」 夏帆のおかげで、私のプリン生活に「自分で作る」という新しい選択肢ができた。 一人になって、もう一度レシピサイトを眺める。材料はグラニュー糖と卵と牛乳があればできるみたいだ。グラニュー糖はないから、上白糖で代用。ってか砂糖なんてみんな同じでしょ。プリン用の型も都合よく家にないから、ココットでいいや。 私は腕をまくってキッチンに立つ。 まずはカラメルを作るために、砂糖とお水をフライパンに入れて、熱を加えた。 やったことがないから、砂糖を熱するという作業に少し不安になる。これ、大丈夫なやつだっけ。 不安になったけれど、砂糖と水はレシピ通りちゃんと茶色くなった。どういう仕組みなんだろう。ちょっと苦めが好きな人は、多めに熱するといいらしい。 好みのタイミングで止めて、そこにお湯を加える。熱いカラメルが飛ぶから気をつけてと書いてあったので、本当かなと疑いながら、シンクで向こう側にフライパンを傾けてお湯を入れた。すると本当にパチパチと飛んだので、説明を信じて火傷をせずにすんだ。信じる者は救われる。 できあがったものを、四つあったココットに順番に入れていく。これでカラメルの完成だ。 次に私はボウルに卵と砂糖を入れて、さらに熱した牛乳を混ぜ合わせた。それをこしながら、さっきのカラメルの入ったココットに流し込む。 「あとは熱するだけ……と」 意外と作業は少ない。ココットが入ったお鍋に水を注ぎ、蓋をして三十分ほど蒸して固めたら、冷蔵庫に入れて冷やす。これで、夜には食べられるだろう。 どんな味なのか楽しみだ。 「じゃーん。見て」 その夜、家に帰ってきた夏帆に完成したプリンを見せた。 「えーすごい。見た目しっかりしてる。お店のやつみたい」 さっきお皿に出す時、裏返してもプリンが落ちてこなくて焦ったけど、底を温めたら落ちてくれた。見た目は確かにお店のやつみたいになっている。 「ねぇ、食べていい?」 「もちろん。一緒に食べよ」 二人で一緒に、スプーンで口に運ぶ。 「え……」 二人で同時に声を出して、目を合わせる。 「めちゃくちゃ美味しい」 「うん、美味しすぎる。美優、これお店出せるよ」 初めての手作りプリンは、信じられないほど美味しかった。なんだこれ。こんなクオリティのものが家で作れるなんて。私は天才か。 「なんか特別なことしたの?」 「プリンへの愛がそうさせたのかも」 と言っておくが、レシピ通り作っただけだ。むしろちょっと適当にしたくらい。プリンは意外と、簡単に美味しく作れるのかもしれない。 「美味しいね。ねぇ、美優はなんでプリンが好きなの?」 「え、なんでって言われても」 プリンを次々とスプーンで口に運びながら、夏帆が尋ねた。好きだから好き、としか言えない。 「もしかして美優は、甘さと苦さの両方があるから好きなんじゃない?」 「あー……。確かにカラメルがあるからより美味しく感じるのかも」 夏帆が言って、確かに意外と苦味があるスイーツは珍しいかもしれないと思う。 「でしょ。苦味があるから、甘味が際立つ。人生みたいだね」 最後の一口を食べて、夏帆は満足そうな顔でスプーンを置いた。 嫌なことがあるから、いいことがもっといいように感じられる。職場でお昼を一人で食べる寂しさを知って、これまでの時間のありがたみに気づけたし、夏帆と過ごす時間にも感謝しなきゃと思える。 「甘さも苦さもあるのが人生……」 私はつぶやくように言った。 「これもう一個あるんだっけ? おかわりしたいんだけど」 「明日食べようよ。一日二個はだめ」 「えー。ってか本当にお店やろうよ。美優の美味しいプリン屋さんって店」 「名前安直すぎるよ」 甘さも苦さもあるのが人生。 私はもう一度その言葉を思い返し、これからは毎週プリンを作って冷蔵庫に置いておこうと、心に決めた。
【Tシャツ】人生はバウムクーヘン -2nd page series-
¥4,000
バウムクーヘンの写真がプリントされたTシャツ。 ボディはコーラルピーチカラーで、これからの季節に使いやすい明るい色です。 これ一枚でも様になるだけでなく、インナーとしても合わせやすく愛用していただけるかと思います。 生地はコットン100%で肌触りも良く、抗菌防臭、制菌加工で汗や室内干しの匂いを大幅に軽減されており、透けにくい素材となっています。 ボディサイズは1st page seriesのTシャツと同じで、今回からLサイズが追加されています。 身幅に比べて着丈の長さが短めに設計されているので、大きめサイズでもおしゃれに着こなしやすいです。 素材 : コットン 100% カラー : コーラルピーチ サイズ : S / M / L 男性モデル着用サイズ L H179cm 女性モデル着用サイズ M H157cm [サイズ S] 着丈 68cm / 身幅 56cm / 肩幅 51.5cm/ 袖丈 19.5cm [サイズ M] 着丈 70cm / 身幅 58cm / 肩幅 53cm/ 袖丈 20.5cm [サイズ L] 着丈 72cm / 身幅 60cm / 肩幅 54.5cm/ 袖丈 21.5cm 発送目安日: お支払い確認後一週間以内 the story for this item ------------- 「人生はバウムクーヘン」 写真のバウムクーヘンのレシピ ・砂糖 20g ・はちみつ 大さじ1/2杯 ・牛乳 100cc ・卵 1個 ・ホットケーキミックス 100g ・無塩バター 20g ・バニラオイル お好みで 「いっちゃん、同窓会楽しかった?」 最寄駅から家までの帰り道で、南美が尋ねる。 俺は「んー」と曖昧な返事をした。 さっきまで五年ぶりに同窓会に参加していた。その帰りに、たまたま南美とタイミングが合ったから、駅から家まで一緒に帰ることになったのだ。大学生の頃に出会った俺たちは、社会人になって同棲を始めた。 「何その反応。微妙だったの?」 「まぁ」 別に、楽しくなかったわけではない。ただ、モヤモヤした。 何度も同じようなことを言われたからだ。 ——キャラ変わったよな。 そう。そればっかり。 キャラってなんだよって思う。 俺は昔の自分が嫌いだった。だから努力して昔より少しでも見た目も良くなろうと思ったし、性格も明るくなろうと思った。昔の自分なんてどこかへ捨てて、変わったところ見て欲しいと思ったのだ。 だけど、その変化を馬鹿にされたような感触が、今もずっと胸に残っている。 こんなことでモヤモヤしてる自分は、まだまだ子どもだなと思う。 南美は少し心配そうな顔をしたけれど、この話題を引きずらない方がいいと思ったのだろう。 「ねぇ、バウムクーヘンってどうやって作るんだろうね」 交差点の角にある洋菓子屋さんの前で立ち止まって、急にそんなことを言った。 「なんか、丸い筒で焼くんじゃない? そういう図、どっかで見たことある気がする」 「あー、だから真ん中に穴が空いてるんだ」 「うん。多分、専用の機械があるんだよ」 きっと工場にはそういう大きな機械が並んでいて、日々音をたててバウムクーヘンが作られているのだろう。 「ってかなんでバウムクーヘンが気になったの?」 「好きだから、家で作れないのかなって思って」 「家では無理じゃない? ってか、南美がバウムクーヘン好きなんて初めて聞いた」 「言ってなかったっけ」 信号が変わって、二人は並んで歩き続ける。俺は一分もすれば、もうそんなバウムクーヘンの話をしたことなんて忘れていた。 だけど家に帰ってから、スマホを見ていた南美が突然大きな声を出す。 「ねぇ、意外と家で作れるかも!」 「え、何が?」 「バウムクーヘン」 「嘘」 「これ見て」 南美が俺に見せてくれたのは、お菓子のレシピサイトだった。 読んでみると、フライパンで作れる方法がそこには紹介されていた。 「いっちゃん、料理得意だから作れるんじゃない?」 「え、俺が作るの?」 「新しいことやるの、楽しいじゃん。明日一緒に作ろ?」 南美の提案で、次の日本当に家でバウムクーヘンを作ることになった。 レシピは、砂糖と蜂蜜と牛乳と卵、それからホットケーキミックスと無塩バター。欲を言えばバニラオイルも必要らしい。 スーパーに行って必要なものを買い揃えたら、早速二人でキッチンに立った。 「まずは、生地を作ろうか」 レシピ通りにボウルに材料を入れ、しっかり混ぜて生地を作る。その間に南美はアルミホイルで筒を作ってくれた。 「綺麗な筒になったよ」 あとはその筒を中心に巻き込みながら、生地を焼いていく。やることはだし巻き玉子と同じだ。 今まであまりバウムクーヘンを観察してこなかったが、穴が空いているということに加え、生地が層になっているところもバウムクーヘンの特徴だ。 調べてみると、バウムクーヘンはドイツ語で「木のケーキ」を意味するらしい。なるほど、確かに層が年輪みたいになっている。 「いっちゃん手際いいね」 「だし巻き玉子と一緒だからね」 俺は南美に見守られながら、アルミホイルを巻き込んで少しずつ生地を焼いていく。だし巻き玉子は得意料理だったので、生地をくるくる回していくのには慣れている。 このやり方なら、家でバウムクーヘンが作れる。このレシピ、考えられているなと思った。 ただ、レシピを見ながらでも思った通りにいかないのがお菓子作りだ。 「なんかこれ……違うよな」 出来上がったバウムクーヘンは、想像していたよりも歪な形になってしまった。全然丸くない。ちゃんとアルミホイルを巻き込んで作ったはずなのに。 「生地が分厚いところと薄いところがあるね」 南美が指摘した。おそらく原因は、四角いだし巻き玉子の感覚でやってしまったからだ。丸いバウムクーヘンでは、一つ一つの微妙な生地の厚さの違いが見た目の歪さに繋がってしまう。 「これは失敗だな」 「でも、これはこれでいいと思う。人生みたい」 「人生?」 「うん。色んな形が層になってて、それで一つの形になってる。いっちゃんだってそうでしょ?」 「……」 俺は黙って考える。南美の言葉は、ちょうど俺がモヤモヤしていたことと重なった。 昔の自分があるから、今の自分がある。誰になんと言われようと、そんな風に考えられたら、俺は今の自分にもう少し自信を持てるようになるかもしれない。 「人生はバウムクーヘン……」 俺は呟いて考える。 もしかして南美は、俺の悩みを見抜いてバウムクーヘンを作らせたのだろうか。 ……それはさすがに考えすぎか。 「いっちゃん、これ食べてみていい?」 「うん、一緒に食べよ」 切ったバウムクーヘンを、それぞれフォークで食べてみる。 「……うーん」 イメージしてたバウムクーヘンの味からはほど遠い。どこかで食べた気がする。この味は確か……。 「……ベビーカステラだ」 俺は思い出して言った。きっと生地を作るのに使う材料が、ベビーカステラと同じなのだろう。 「ほんとだ、ベビーカステラの味だね」 「どこかで分量間違えたのかな」 「でも、ベビーカステラも好きだからこれでいいよ」 人生はバウムクーヘン。その味はベビーカステラ。 それも悪くない気がして、二人で笑った。
【Bucket Hat】バケハは、風に吹かれて
¥3,900
黒の生地に白の糸で「page One Half」のブランドロゴが刺繍されたバケハ。 季節を問わず使いやすく、毎日かぶっても飽きがこないシンプルなデザインとなっております。 日常に取り入れやすい形で、色んなスタイルに合わせられます。 素材 : コットン 100% カラー : ブラック サイドにはアイレット(小さな穴)が付いています。 発送目安日: お支払い確認後一週間以内 the story for this item ------------- 「バケハは、風に吹かれて」 「風で? 真衣、そんな運悪いことある?」 オフィスの昼休み、私の話を聞いてまる子が言った。まる子はもちろん本名じゃなくてあだ名。おかっぱだからそうなっただけ。 「そう。だからあの帽子はなくなったの。お気に入りだったのに」 昨日退勤した後、ちょうど会社近くの歩道橋を歩いているときに、かぶっていたキャップが風に飛ばされてしまった。 うまい具合に柵を越えて下に落ちていく。あ、と思って下を覗いてみたら、もうどこにもなかった。下は幹線道路だから、多分トラックの上とかに乗って運ばれていったんだと思う。隣の県くらいまで行ったのかも。 「だから私、風嫌いなんだよね」 「風に好きとか嫌いとかあるんだ?」 「あるよ。風に嫌われてる感じもする」 風の悪戯で不幸な目にあったのは、今回が初めてじゃない。大事な傘を壊されたこともあるし、デートの日に髪型をぐちゃぐちゃにされたこともある。楽しみにしてたイベントが強風で中止になるとか、風を恨むような出来事はこれまでに何度もあった。多分、人より多い。 「気にしすぎだよ。雨男とか雨女とかならわかるけど、真衣は風女ってこと?」 「そうなるね」 頷きながら、風女ってちょっとかっこいいなと思った。 「まぁ、毎日かぶってた帽子だもんね」 「そう。あれがないと、髪型ちゃんとしないとだから面倒なんだよね」 私が毎日帽子をかぶっていた理由は二つある。 一つは紫外線対策。秋とか冬でも降り注いでるっていうし、日焼け止めしてても、帽子があるのとないのどちらがいいかと言うと、もちろんある方が紫外線を浴びなくて済む。 もう一つは、毎朝髪型を整えるのが面倒だから。癖っ毛で、しっかりアイロン使ったりして整えないといい感じにならない。毎朝それをするのは面倒だから、帽子をかぶるようになった。その方がオシャレに見えるし。 「じゃあ新しいの買ったら? 駅の近くに、小さな帽子屋あるの知ってる?」 「知らない。そんなのあったっけ?」 「私も入ったことないけど、外観的に帽子屋だと思う。仕事終わったら一緒に行ってみる?」 「え、いいの? 行きたい」 じゃあ今日は残業なしだ。 風に飛ばされるような軟弱な帽子のことは忘れて、私はもっとかっこいい帽子を買うんだ。 仕事が終わってまる子に連れてきてもらったのは、駅までの道を一本入ったところにある帽子屋だった。 「確かに帽子屋だ。気づかなかった」 「でしょ。私もこの前知った」 裏路地にある小さな店は、ずっと昔からありそうな老舗の佇まいだった。 私たちは店内に足を踏み入れる。壁面が見えなくなるくらいに帽子が飾られている。 「どれがいいかなぁ」 私のを選ぼうとしてくれているのか、まる子はどんどん奥に行って帽子を探している。 私はふと、右側の一番手前に置かれていたバケハが目に留まった。黒いシンプルなデザインに、正面に刺繍されたブランドロゴ。ここに置いてあるということは、この店の一押しだということだろうか。 私はそのバケハを手に取ってみる。 「それ、お似合いだと思うよ」 低い声がした方を見ると、カウンターの向こうに店主らしき男性が立っていた。丸メガネをかけて髭をはやし、まるで占い師のような雰囲気だった。 まだかぶってもないのにそんなことを言うなんて、絶対変だ。だけど店主の雰囲気も相まって、なんだかこれが似合うと予言されているみたいだった。 「かぶってみたら?」 まる子に言われて、私は実際にかぶってみる。横に置いてある鏡でチェックすると、なるほど、確かに悪くない気がする。 「いいじゃんそれ」 「うん、いいよね」 店主はどう思ったのだろう。リアクションを見るためにそちらに視線を移す。 「帽子というのはね、自分を変える力を持ってるんだよ」 私は今度こそ「お似合いです」とかを期待してたのに、全然違う意味深な言葉が出てきた。 「自分を変える力……」 意味はわからないけれど、それについて質問する雰囲気でもなかった。 私は戸惑いながらもう一度鏡を見る。いつもと違う雰囲気の私が映っている。 「私もそう思います」 なにか店主と波長があったのか、まる子は突然同意していた。 ちょっとスピリチュアルな感じもするけど、帽子自体ものは悪くなさそうだ。 「……これください」 私は黒のバケハを購入することにした。 それからまる子は私よりも時間をかけて帽子を選び、結局私のと似たような黒のバケハを買っていた。本当は私のやつが欲しかったのかもしれない。 「ありがとうございました」 店主は最後に一度だけ、にこりと笑顔を見せた。 「いい帽子買えてよかったね」 「うん。いいお店教えてくれてありがとう」 私は早速買ったバケハをかぶってみる。 自分を変える力。よくわからないけど、キャップをかぶっていた時とは気分が違う。 あの店主の言葉はそういう意味だったのだろうか。 「私もかぶろっと」 まる子は言いながらバケハをかぶる。ショートボブにも似合ってていい感じだ。 でも考えてみれば、バケハなんて一番風の影響受ける形をしている。私は顎にかけられるゴム付きの帽子を買った方が良かったのかもしれない。 そんなことを思っていたところで、びゅっと強い風が吹いた。 「わっ」 風に吹かれて、案の定私の帽子だけが飛ばされる。道の端まで飛んでいっただけで、道路までは飛ばされずに済んだ。 「ほら見た? やっぱり私風に嫌われてるんだよ」 「確かに。本当に風女なんだね」 まる子は目を丸くして言った。 私は飛ばされた帽子を拾いに行く。そのときに、後ろでビタッと何かが落ちる音がする。 音がした方を振り返ると、見覚えのあるものが落ちていた。 「あれ、これ真衣がかぶってた帽子じゃない?」 「……本当だ」 信じられない。昨日までかぶっていたキャップが、ちょうど今の風でどこかから飛んできたみたいだった。私が昨日なくした歩道橋の場所は、ここから少し離れているのに。 「風が偶然運んでくれたんだよ。良かったね」 「嘘みたい」 「どう、風に感謝する?」 「感謝する。いや、でも元々は風が持って行ったんだから、感謝しない。取られたものを返してもらっただけだし」 まる子は「感謝しときなよ」と言って笑った。 いいことも悪いことも、全部風の偶然。 結局どう考えるか次第。 憎い風のことなのにそんな考えが頭をよぎるなんて、帽子には本当に自分を変える力があるのかもしれない。 私はバケハを深くかぶり直して、風の吹く道を歩き出した。
【スウェット】「18:15」の六本木で口にした願い -1st page series-
¥9,800
SOLD OUT
オフホワイトのボディに、印象的な月の写真がプリントされたスウェット。 ボリューム感のあるシルエットが特徴です。 縫い目にまたぎ二本針ステッチが施されていて、丈夫な仕上がりとなっております。 肉厚でしっかりした生地ながらも、柔らかく軽い着心地となっています。 裏面は肌触りの良い起毛加工がされており、寒い季節も温かいです。 抗菌防臭、制菌加工がされている高機能な生地が使われており、汗や室内干しの匂いが軽減されています。 素材 : コットン76% ポリエステル24% カラー : オフホワイト サイズ : S / M [サイズ S] 着丈 69cm / 身幅 56cm / 肩幅 54cm/ 袖丈 59cm [サイズ M] 着丈 71cm / 身幅 58cm / 肩幅 55cm/ 袖丈 60cm モデル着用 サイズM 身長161cm 発送目安日: お支払い確認後一週間以内 the story for this item ------------- 「18:15」の六本木で口にした願い その日、大江戸線の車内広告に「願い事の叶え方」と見出しが出ていた。よくあるビジネス書籍の広告らしく、下には「言葉にすること」と書かれてある。 願い事を言葉にする。少なくとも私にとっては、簡単なことじゃない。 私は六本木駅で降りて、長いエスカレーターに乗って改札まで行く。改札の外に出たところで、雄哉が待っていた。彼は買ったばかりの一眼レフを肩から下げ、なぜか照れたような表情を浮かべていた。 「きーちゃん、これどう?」 「いや、どうって。カメラはアクセサリーじゃないんだから」 わかってるよ、と彼は唇を尖らせて言う。 カメラが欲しいと言っていたのは一週間前。どうせすぐその熱もおさまると思っていたけど、一週間もしないうちに彼は本当にカメラを買ってきた。 それで、今日は景色を撮りにいくのに付き合ってほしいと連絡があった。 「高かったでしょ」 「でも七万くらい」 「高いじゃん」 「もっと高いのもあったんだよ。さすがに我慢した」 当たり前だ、と思う。いくら実家組とはいえ、贅沢がすぎる。私みたいな地方出身の大学生には、そんな余裕はない。 「雄哉が景色撮りたいって、意外だね。サークルのみんなのライブ写真撮ってあげたらいいのに」 「嫌だよ。あ、きーちゃん、みんなにカメラ買ったって言うなよ。頼まれるとめんどうだから」 でも、景色の写真インスタにあげたらカメラ買ったことバレちゃうよ。そう思ったが、彼はまだ気づいていないようなので黙っておいた。 私たちの所属している軽音サークルは、定期的にライブイベントがある。雄哉はいいやつだから、どうせいずれカメラマンの役割を任されることが簡単に想像できた。 サークルはみんな仲がいい。だけど私は、その中でもなぜか雄哉とよく一緒にいる。音楽の趣味が似てることもあるかもしれないけど、なんとなく彼とは気があった。雄哉はふにゃふにゃしていて軟体動物みたいだと思う。誰かの心にスルッと入って、気がつけば最初からそこにいたみたいな顔をしている。 「都会っぽい景色を撮りたいんだよね」 と雄哉は言う。私たちは六本木通りを歩いて、六本木ヒルズへ向かっていた。道を歩いている間も、彼は嬉しそうにファインダーを覗いて写真を撮っている。 写真、多分上手くならないんだろうなと私は思う。彼はギターだってちゃんと練習してるのに、ちっとも上手くならない。きっとそれが、雄哉なんだろう。 「あのさ、『好きだけど返事はいらないから』って急に女の子に言われたら、どうしたらいいと思う?」 不意に、彼はそんなことを言い出した。突然すぎるし、言っている意味がわからない。 「何それ」 と、私は思ったことをそのまま言葉にした。 「俺もわからないんだけど」 「告白されたってこと?」 「そうだと思う」 「私の知ってる人?」 「知らない人だけど、同じ大学の人。前にゆうみが友達と飲んでるから来てって言われて、行った時に会った人」 ゆうみは同じ軽音サークルの、ちょっと貞操観念というものをどこかに忘れてきてしまったタイプの子だ。その友達だから、似たようなタイプの子の可能性もある。超偏見だけど。 「返事はいらないってことは、付き合いたいってわけじゃないよね」 「多分。だから困ってる」 六本木ヒルズ前のエスカレーターに乗って、雄哉は振り向いて話す。写真を撮るのを付き合ってと言ってたけど、本当はこのことを私に相談したかったのかもしれない。 「雄哉はその子のことどう思ってるの?」 「初め会った時、めっちゃかわいい人だなって思った。だけど、結構ぐいぐいくるからさ。なんか冷めちゃうというか」 「雄哉は追いかけられるのが嫌なんだ」 「嫌じゃないよ。嬉しいけどさ、なんか、そういう風に見られなくなるというか」 雄哉は、蜘蛛みたいな形の謎のオブジェの下で、しゃがみこんで写真を撮り始めた。慣れてないからかちょっと挙動が怪しく見えるので、一人で来させなくてよかったと思った。 「もし私がアドバイスしていいならなんだけど、思ってることをちゃんと言葉にして伝えた方がいいと思うよ。その子と連絡取り合ってるなら、思わせぶりになってる可能性もあるし」 雄哉は写真を撮りながら、黙って頷いた。 私は自分が言葉にできなくて困っているのに、何を偉そうなこと言ってるんだろうと思う。 「写真いい感じ?」 立ち上がった雄哉に私は尋ねる。 「うん。かっこいいと思うから、見て」 撮った写真がカメラの背面のモニターに映っていた。オブジェとビルが映っているが、全体的に暗くて、何がかっこいいのかわからない。私は何も言わずにカメラを返す。雄哉は受け取って、どこかに向かって歩き出す。私はそれについて行く。 「きーちゃん、今日一緒に来てくれてありがとう」 「いいよ」 「こんなこと、きーちゃんじゃないと頼めないからさ」 こいつ、すぐにこういうことを言う。だからダメなんだ。 「雄哉はなんでカメラ買ってまで景色を撮りたいって思ったの?」 「写真にしたら、すごく近くに感じられる気がするから」 近くに感じられる。彼はよくわからない言葉を使った。 「景色を近くに感じたかったんだ?」 「変かな?」 「いや、別に」 「あ、ここから東京タワーも見える」 手すりの前で立ち止まって、雄哉は遠くにカメラをむける。東京タワーの形ってかっこいいな、とか言いながら。 「ねぇ、そのカメラって月も撮れるの?」 「どうだろ。もっと倍率? のいいやつじゃないとむずいかも。月出てる?」 「ほら、あっち」 私は東京タワーとは違う方角を指さした。まだ暗くなりきらない青い空に月が昇っている。 雄哉はそちらにカメラを向けてファインダーを覗いた。「ちょっと遠いかなぁ」とか呟きながら、カメラの設定をいじっている。 「私さ、昔星じゃなくて、月に願い事してた」 「へぇ、珍しいね」 「月って大体見えるよね。いつでも願い事できるから都合よかったのかも」 「きーちゃん、ここに来て、腕のばして手でお椀作って」 雄哉はファインダーから目を離して、私に言った。 「こう? この辺?」 私は言われた通りにやってみる。 「うん。もうちょい下」 手の位置の微調整をしながら、雄哉はシャッターを切る。 「ほら見て。こういうのよくない?」 カメラのモニターには、私の手のひらの上に光る月が映っていた。まるで、私が手で月をすくっているみたいにも見える。 「うん、いいと思う」 なんだ、意外と才能あるじゃん。六本木関係ないけど。 「きーちゃんはこの月に、何を願うの?」 雄哉に言われて、私は考える。願い事を言葉にすること。電車で見た広告が、一瞬頭によぎる。雄哉とのさっきの会話、月の写真、色んなものが頭を通過していく。 「私、雄哉のこと好きだから、近いうちに返事ちょうだい」 私は彼の目を見て言った。 握りしめた自分の手のひらの中に、すくった月があるような気がした。
【Tシャツ】「17:24」の渋谷で気づいた気持ち -1st page series-
¥4,000
使いやすいダークグレーのボディに写真がプリントされたTシャツ。 これ一枚でも様になるだけでなく、インナーとしても合わせやすく愛用していただけるかと思います。 生地はコットン100%で肌触りも良く、抗菌防臭、制菌加工で汗や室内干しの匂いを大幅に軽減されており、透けにくい素材となっています。 素材 : コットン 100% カラー : ダークグレー サイズ : S / M [サイズ S] 着丈 68cm / 身幅 56cm / 肩幅 51.5cm/ 袖丈 19.5cm [サイズ M] 着丈 70cm / 身幅 58cm / 肩幅 53cm/ 袖丈 20.5cm 発送目安日: お支払い確認後一週間以内 the story for this item ------------- 「17:24」の渋谷で気づいた気持ち 「わぁ、ここすごいね。スクランブル交差点が丸見え。やばい」 エスカレーターをのぼりながら、拓也が嬉しそうに言った。目の前のガラスに頭をぶつけそうな調子で、下を覗いている。 拓也はすぐに感情を言葉にする。私には、そんな彼が時々眩しく感じることがある。私が思ったことを口にすると、大抵周りの空気を凍りつかせてしまうから。 彼の黒のリュックには、今流行りのアニメのキーホルダーがぶら下がっていた。なんか、呪いとかそういう穏やかではない漢字が並んでいるアニメで、最近みんなが話題にしている。 「亜紀も見てよ」 「ん」 私は返事をしながら、ガラスに顔を近づける。 渋谷スカイができてから随分時間が経つというのに、ここに来るのは初めてだった。いつでも行けるからこそ、逆に来なかった。というか、みんなが盛り上がっているものになんとなく寄り付きたいくないという思いもあった。大学のみんな、ここでTikTok撮ってたし。 私はいつからこんな性格になったんだろう。 ここからはまるでジオラマみたいに見えるスクランブル交差点を眺めながら考える。 大学生になった私は、昔より上手くやれていると思った。中学や高校の頃、こんな性格の私は誰にも見向きもされなかった。みんなと同じでいられない人は、空気の読めない楽しくないやつとして扱われる。草むらでひっそり風が吹くのを待っているたんぽぽみたいに、いないのと同じ扱い。 それが大学生になると、途端に何でも許されるようになっていた。たった一年の違いなのに、みんなこれまで着ていた重りを脱ぎ捨てたみたいに自由で寛容になる。大学生って不思議だ。同級生を下の名前で呼ぶことさえ、少し前までは許されることではなかったというのに。 「亜紀、こっちは東京タワーが見える」 拓也はそう言って歩いていく。 「拓也、待ってよ」 彼は一瞬振り返って微笑んでから、また私に背を向ける。 出会った頃からずっと呼び捨てにしているけれど、私は未だに彼を呼ぶときに、格好つけているような気持ちになる。これまでしたことなかったのに、こんなの当たり前だってふりして呼び捨てしているのが、滑稽だと思う。 今日は本当はもう一人先輩が合流するはずだったけれど、その人は昨日飲みすぎて頭が痛いらしく、直前に連絡があって来なくなってしまった。飲み過ぎが欠席の理由になるのも大学生の特権だ。 「見てあそこ、ネットがかかってる。寝転ぼうよ」 空の下、斜めにネットがかけられていて、寝そべることのできるスペースがあった。ああ、これTikTokで見たやつだと思う。 「えー、なんかバカっぽいじゃん」 と、一回拒否してみたが、 「せっかく来たんだから、一回くらい」 と言って拓也はリュックを前に抱き抱えて、ためらいなくネットに体を預けた。 私なら絶対にこんなところに寝転べない。どうして拓也は、どんなことにも隔たりを感じずにいられるのだろう。そのアニメのキーホルダーだってそうだ。流行りを、抵抗なく自分のものにできる。 「ほら、どうぞ」 ネットの区切られたスペースの中で、拓也がわざわざ端っこに寄って寝転んだから、私はその空いたスペースに寝転ばざるを得なかった。 渋々寝転んでみたら、視線の先には空が広がっていた。少しオレンジがかった淡い色の空は、何もかもを吸い込んでしまえそうに思えた。 「どう? よくない?」 拓也は隣で無邪気に言った。確かに背中に当たるネットの感触も、柔らかくて心地いい。 「うん。なんか、いいね。ずっとこうしていられそう」 少しずつ、でも確かに、長い時間をかけて作った壁が溶けていくようだった。 「もうしばらくしたら、夕焼けになりそうね」 そう私が言うと、拓也は空を見上げて「ほんとだ。来てよかったな」と言った。 私は拓也といると、これまでとは違う自分に踏み出せるような気がする。手を引かれ、半ば無理矢理でも、たたらを踏んで足が進む。こうやって下手くそな歩き方で何歩も進んでいくうちに、本当に新しい自分に辿り着けるような気がしてくる。 「私たち、恋人同士に見えるのかな」 私はつぶやくようにそう言った。 だけどその瞬間、沈黙した彼から、戸惑いの空気が痛いくらいに伝わってきた。ああ、失敗したな。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。私はすぐに言葉を続けた。 「いや、周りがカップルばっかだからさ」 焦って言った私の言葉は、広い空にうまく吸い込まれてくれない。 「亜紀ちゃんに俺は釣り合わないよ」 スパン、とキャッチャーミットにボールを投げ込むように拓也は言った。 一瞬、頭が混乱する。 それ、どっちが釣り合わないって意味だっけ。拓也が上ってこと? いや、拓也はそんな傲慢な言い方するタイプじゃないよね。 じゃあ。 「何、私のこと、そんなに評価してくれてるの?」 私は平静を装ってそう言った。 「だって亜紀ちゃんかわいいもん」 「なんだそれ。チャラいな」 私の言葉に、チャラくねぇよ、と拓也は笑って言う。 太陽が東京のビル群の向こう側に傾いていく。心地よい風が吹いて、雲の形が変わっていく。 私の心にも、綿毛が飛んでいきそうな、柔らかい風が吹いている気がした。
【ロンT】「7:10」の電車の中で見つけた自由 -1st page series-
¥5,500
SOLD OUT
オフホワイトのボディに写真がプリントされた長袖のTシャツ。 脇下に縫い目がない丸胴で、どんな体型にも合わせやすい形です。丈夫で軽い着心地となっています。 生地はコットン100%で肌触りも良く、抗菌防臭、制菌加工で汗や室内干しの匂いを大幅に軽減されており、透けにくい素材となっています。 素材 : コットン 100% カラー : オフホワイト サイズ : S / M [サイズ S] 着丈 60.5cm / 身幅 52cm / 肩幅 49cm/ 袖丈 57cm [サイズ M] 着丈 63cm / 身幅 53cm / 肩幅 50cm/ 袖丈 58cm 発送目安日: お支払い確認後一週間以内 the story for this item ------------- 「7:10」の電車の中で見つけた自由 朝、いつもと逆のホームに僕は立っていた。 東の空から昇った太陽の光で、線路に影を伸びている。馬鹿なことをしているのは自分でもわかっていた。それなのに、このところずっと機能していなかった心が、久しぶりに熱を帯びている気がする。 いつも立っているはずの向かいのホームには、早朝だというのに電車を待つ人で溢れかえっていた。みんなまだ、シーツの上に意識を置いてきたままのような顔をしている。いつもなら、僕もその一人だ。 まだ今なら戻れる。でも、今日だけ。今日一日だけ……。 アナウンスが鳴り、電車が目の前に到着する。扉が開き、僕は足に力を込めて踏み出した。乗り込んだ車内は信じられないくらいに空いていた。いつもは座れない座席に腰を落ち着け、僕はスマホを操作する。 「こっち、電車に乗れた。そっちはどう?」 僕は藤木にLINEを送る。返事はすぐにきた。 「こっちも間に合いそう。一番前の車両だよね?」 「うん。一番前にいる」 そんなやりとりを交わしてから、僕は電車の進行方向を見た。 動き出した電車の窓の向こうに、富士山が見えていた。思わず僕は立ち上がる。 小田急線経堂駅から富士山が見えるということ。同じ小田急沿線に住んでいる藤木に、ずっと前に言われたことがある。その時はあまり真面目に聞いていなかったが、どうやら本当だったらしい。 進行方向に富士山が見える。つまり電車は下り。 ああ、僕は本当に馬鹿なことをしている。 僕は昨日、上司にこっぴどく叱られた。雑誌の編集をするようになって、まだ二年。だけど、もう二年が経った。 まだ一人前になれず、最近ずっとこんな調子だった。何かすると叱られ、叱られるかもしれないと思って仕事をすると、また叱られる。 昨日も指摘された修正作業で、夜遅くまで残業していた。 「なんかもう、全部放り出して温泉とか行きたい」 人の少なくなった会社で、僕は隣にいた藤木にそうこぼした。同期である彼女とは、気を遣わずに何でも話せる関係だった。彼女は何を言ってもあまり深刻に捉えないから、逆にどんなことも話しやすい。 「温泉ねぇ……」 藤木は髪をかきあげて、少し考えるような顔をして言った。髪を耳にかけると、すっきりした輪郭が露わになる。化粧っけはないが、それを補って余るくらい、彼女は表情が豊かだ。 僕は「温泉」と言ったが、別に深い意味があったわけではなく、ただ仕事に追われているこの状況から抜け出したいだけだった。次の日には言ったことさえ忘れているようなことだったかもしれない。 「私も行きたいな。温泉」 藤木が言ったそんな言葉も、ただこちらの愚痴に合わせて言ってくれた言葉だと思った。 なのに、藤木の言葉はそれで終わらなかった。 「ね、行ってみる? 明日一日だけ」 彼女は僕の方をまっすぐ見て言った。 「行くって、どこに?」 「温泉って言ったじゃん。温泉といえば、箱根」 「どうやって」 「小田急線って、箱根まで繋がってるの。知ってた?」 「じゃなくて、仕事は?」 「熱出したことにすればいいんじゃない」 「怒られるよ」 「熱出て休んだら怒られるの? どんな会社だ。あのさ、自由って言葉知ってる?」 「知ってるけど」 「じゃあいいじゃん、一日くらい。君が一日いないくらいで、何もかも終わるような世界じゃない」 一体何を言っているんだ。つまり、ズル休みをしようということか? とてもじゃないが現実的ではない。 と、思っていたはずなのに、僕は今、会社とは逆方向の電車に乗っている。自分でも、こんなことをする勇気があったことに驚いていた。 窓際に立っている僕は、電車の上にある路線図に視線を移した。 経堂駅の近くで暮らすようになって、僕はまだ一年も経っていない。だからあまり意識したことがなかったが、確かに小田急線は箱根まで繋がっている。新宿に向かう電車と逆方向に乗れば、そのまま箱根に行ける路線なのだ。 僕はシートに座る。電車はいくつかの駅に停車し、新百合ヶ丘駅に着いた。 扉が開き、そこで藤木が姿を見せた。 「おー、ちゃんといた。電車で待ち合わせって、なんか嬉しいね。おはよ」 彼女は僕を見て嬉しそうに言った。Tシャツ一枚にデニムという、とても身軽な格好だった。 「おはよう。裏切られて一人にされたらどうしようかと思った」 「そんなことしないよ。ちゃんと熱出したの?」 「早朝に連絡しておいた。申し訳なさそうにね」 「有給なんて当たり前の権利なんだから、申し訳なさそうにする必要なんてないのに」 「するよ、社会人として。藤木はなんて言って休んだの?」 「一緒だよ。熱」 「え、それ怪しくない?」 「大丈夫でしょ」 藤木は楽観的なところがある。何かにとらわれずに、自分を持っている。 社会人になって、会社という組織に入って、それでもこんな感じでいられるのが不思議だった。それなのに、会社で彼女の仕事ぶりを悪く言う人はいない。できる人というのは、こういうやつのことなのかもしれない。 「まだ、自分で何してるんだろって思ってるよ」 「でも、ワクワクしない?」 「……まぁ、してる」 やってはいけないことをしているというこの感じ。なぜか高揚感を覚えている自分がいる。 「でもなんで藤木は、こんなことに誘ってくれたの?」 同期の愚痴に付き合うためだけにしては、自分も休むなんてリスクが高すぎる。 「ただ教えてあげたいと思ったから。人って、こんなことができるんだってこと」 「なんだそれ。え、もしかして藤木はこういうの初めてじゃないの?」 僕の言葉に、ふふ、と彼女は意味ありげに笑った。 「ねぇ、この電車に、私たちと同じ目的の人がどのくらい乗ってると思う?」 「同じ目的?」 「そう。繰り返される毎日に疲れ果てて、そこから脱出しようとしている人が、この電車にどのくらい乗っているのかってこと」 僕は車両を見渡す。僕ら二人の他に、何人か乗客はいる。 「そんな人がいるわけ……」 と、否定しようとしたが、そう思って見ると、みんながそういう風にも見えてくる。一人で座っている若い男。スーツを着た壮年の男性。同い年くらいの女性。 今いる場所から、勇気を出して逆方向に踏み出した人たち。 人は暮らしていくために、知らないうちに何かに縛られてしまう。理不尽な言葉を投げかけられても、そこから抜け出すことができない。そんな場所しか、知らないから。 「みんな、自由を求めているんだよ。この電車は、そういう人たちを連れていくために走っている」 藤木が急に真面目な目でそんなことを言うから、僕はこの電車が何か特別なもののように感じ始めていた。まるで異世界へと繋がっているような……。 僕は窓の外の、雲がたなびく空を見る。 「これはね、君が自由を勝ち取るための行動だよ」 「……ずる休みをして温泉に行くだけなのに、大袈裟だよ」 僕は笑ってそう言ったが、自分の中に、これまでにない気持ちが湧き上がっているのを感じていた。 朝の光を浴びた街が、窓の向こうで流れていく。 自由。 僕は立ち上がって、窓に手をかけた。 形のないそれが、すぐそこにある気がした。